
「どうしてうちの子は、こんなに言うことを聞かないの?」
そんな風に感じたことはありませんか?
実は、子どもが言うことを聞かないのには、大人が見落としがちな理由があるのです。
今回は、子どもに「寄り添う」とはどういうことかを、具体的に考えてみたいと思います。
どの育児書にも保育士研修にも必ず出てくる
「お子さんの気持ちに寄り添いましょう」という言葉。
正直耳タコができるレベルですよね・・・。
しかし、
寄り添うとは具体的にどういうことなのか?
それについて触れられていないことが少なくありません。
今回は、子どもに寄り添う際に、私たち大人が見落としがちな視点を取り上げたいと思います。
まず要点をまとめると:
- 子どもは大人より圧倒的に選択肢が少ない
- 子どもの世界認識は物理的にも精神的にも極端に狭い
- 大人も、実は子どもの事情に気づけていない
1. 子どもは大人より圧倒的に選択肢が少ない
これは比較的想像しやすい点かもしれません。
大人は不快なことや、予測されるストレスに対して柔軟に回避や対処が可能です。
たとえば:
- 明日会社を休んで病院に行こう
- 疲れたから今日は総菜を買おう
- 暑いので着替えよう
- 勉強したいから本を読もう(または買おう)
日常の中で、私たちは大小様々な決定権と選択肢を持ち、それを行使しています。
一方で、子どもは困ったことがあっても:
- 知っている単語で話す/叫ぶ
- 泣く(座り込む)
- 怒る(暴れる、奇声を発する)
- 逃げる
- 力尽きてぐったりする
など、子どもたちはごく限られた方法しか使えません。
さらに、大人の都合で(やむを得ず)行動を制限されることが多いため、状況に自分で介入する余地が非常に少ないのです。
この事実を大人が理解することで、子どもの反応に対する見方が変わり、イライラせずに向き合える可能性が高まります。
2. 世界への認識が物理的にも認知的にも極端に狭い
子どもの視野は実際に狭く、物理的には背の低さや注意の集中範囲から、周囲の人や出来事を把握する能力が限られています。
移動中の物理的な視野は、精々足元から縦横1m程度の範囲で、
前後左右から歩いてくる人の存在には直前まで気づけないこともあります。
また、認知発達理論の提唱者であるスイスの心理学者ジャン・ピアジェ(Jean Piaget)は、
幼児期を「前操作期」と呼び、この時期の子どもは自己中心性(egocentrism)が強く、
自分と他人の視点を区別することが困難であると述べました。
さらに、アリソン・ゴプニック(Alison Gopnik, 2009)の研究では、幼児は複数の事象を同時に注意することが難しく、
「今やりたいこと」以外の情報を処理する余裕が少ないことが示されています。
また、子どもは「国」「社会」「経済」「他人の都合」などの
抽象的な概念を持たず、物理的・心理的な
“今この瞬間”しか世界に存在していないのです。
そのため、大人がいくら「今は〇〇するべき」と説明しても、子どもが理解しきれない場面が生じるのは当然です。
3. 大人も案外見えていない
反対に、大人もまた子どものこうした制約に無自覚なことが多いのです。
心理学者デヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーによって提唱された
「ダニング・クルーガー効果」によれば、
人は自分の知識や理解が足りていないことに気づきにくい傾向があります。
「相手の立場に立って考える」ことは、大人にとっても決して簡単ではありません。
私たちは
自分もかつて子どもだったという事実や、
いまもなお他人に迷惑をかけながら生きているという事実
をつい忘れがちです。
だからこそ、
「子どもに寄り添えていないかもしれない」
「自分も子どもの頃はたくさんの人に迷惑をかけたのだな」
という認識を持つこと自体が、非常に重要なのだと思います。
4. 寄り添うとはどういうことか?
では、実際にどのようにすれば「子どもに寄り添う」ことになるのでしょうか。
まず、上記の1〜3の視点を常に意識しておくことが土台になります。
そのうえで、「この子はいま何に向き合っているのか?」を、共に探る姿勢が大切だと思います。
たとえば:
- 何が嬉しかった?
- 何が悲しかった?
- どんなことに興味を持った?
- どんな感触だった?
- どんな味だった?
- どこが怖かった?
- 何が嫌だった?
- どこが痛い?
- 何に怒っていた?
- 何に執着していた?
- 何が“見えて”いなかった?
このように、子どもがその瞬間に感じている情報を一緒に見て、触れて、予想し、必要であれば言葉にしていくこと。

それが「子どもに寄り添う」という行為なのだと私は考えています。
特に、「何が見えていなかったのか?」を意識することで、その子の世界観をよりはっきり見るためのヒントになります。
そうすることが、お子さんの視野の限界を補い、より丁寧な関わりに繋がるのではないでしょうか?
いかがだったでしょうか?
長文にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございました。
どこかの育児や保育の現場で、この視点が誰かの心を少しでも楽にできますように。